私が棄てた女 【発見】

1969年 日活
監督:浦山桐郎
出演:河原崎長一郎、浅丘ルリ子、小林トシエ、江守徹、加藤武
原作:遠藤周作『わたしが・棄てた・女』

■あらすじ
貧乏学生の吉岡は、田舎から出てきて工場で働いているミツと、欲望を満たすためだけに関係した。ミツは吉岡に棄てられ体調を崩し、借金もできて絶望の毎日を送っている。
一方、吉岡は就職した会社の社長の姪と結婚して順風満帆に見えたが・・・。

■雑感/編みどころ
ミツは寝起きしている飲食店の2階で、濃い色の毛糸で棒針編みしていました。
工場で同僚だった女が訪ねてきて編み物の上に座り「イテッ! 何だいこりゃ?」となります。「吉岡さんに会ったらやるか?」(あげるのか?)などと見込みがないと知りながらも図星のようなことを言って嘲弄します。

映画を観てから原作を読んで、内容がかなり違うので驚きました。
原作にない下世話な事柄が盛り沢山に詰め込まれているし、特にミツの最期については、作者の立場からあれでいいのだろうかと。
でも作者が出演もしていることから、不本意な脚色ではないのでしょう。そのまま映像化したからといって小説と同じになるわけではないから、映画なりの表現に任せたのでしょうか?

時間が経ってみると、この映画化も悪くないように思えます。吉岡、ミツ、マリ子(吉岡の妻)という3人の思いがそれぞれあって(原作にはほとんど名前くらいしか出てこないマリ子の存在が大きくなっているのは、浅丘ルリ子を主役級にせねばという理由があったのかどうかは存じません)結果として心に訴えるものになっています。
何と言っても小林トシエが演じるミツの完成度が高くて、他の人物も存在感があるし、当時の風俗の描き方も良い意味で時代を感じられますが、映像面ではやや疑問あり。

熊井啓監督の映画化『愛する』(1997)は、設定には原作に忠実な部分があるものの、上辺だけで真に迫っていないように思います。

Wikiにフランス映画『天使の肌』(2002)が「原作の翻案ではないかと言われている」とありました。なるほど・・・言われてみれば共通点があり、たしかにそう思えなくもないですね。この映画はニットが多めだったので記憶にありました。

原作小説、『愛する』ともに編み物は登場しませんでした。