デイヴィッド・コパフィールド (一) 【発見】

チャールズ・ディケンズ著
David Copperfield (1850) 石塚裕子 訳(岩波文庫)

映像化をいろいろ見たので今度は原作です。
岩波文庫の5巻中2巻まで読みました。
今のところ編み物が登場したのは1巻めだけです。

新訳との事で、読みやすくてわかりやすく、語り手である主人公が幼い頃から始まることもあって、かなりくだけた調子です。ちょっと面白可笑しく訳しすぎではないかと思うほどで、機会があれば他の訳と比較してみたいです。

映画『孤児ダビド物語』(1935)と『デビッド・コパーフィールド』(1999)は、主人公の幼少期と青年期で半々の時間が割り振られていましたが、原作では幼少期は2巻めの最初のほうで終わっているので全体の1/4程度でしょうか。そこまでは忠実な映像化という感じです。

映画は後半の展開が性急だなと思いましたが、この分量を圧縮していたのでは無理もありません。映画では少ししか触れられなかったことが、この先、読み進めていくにつれ詳細に語られるのかと思うと楽しみです。

あとわかったことは、ペゴティは主人公の母の乳母かと思っていたけど、結婚前から父のところにいたようです。とてもふくよかであるという以外は年齢も不詳。


編みシーンは簡単に書かれているだけなのでちょっと物足りませんが・・・。
ミセス・ガミッジが編んでいること、義父の姉がビーズをしていることも映画で見たとおり。おばさんのビーズ作業は、どういうものだかわかりませんが、この人はメタリックなものが好きらしく
小粒のぴかぴか光る鋼色のビーズを糸に通していく
とありました。

3巻め以降も発見がありますように!

贋作 【発見】

パトリシア・ハイスミス著
Ripley Under Ground (1970) 上田公子 訳

■あらすじ
前作『太陽がいっぱい』から6年後の話。
トム・リプリーは資産家の娘エロイーズと結婚し、それなりに何不自由なく暮らしている。それなりに、というのは義父からの援助なしには邸宅での生活を維持できず、すべて頼るわけにもいかないので、怪しげな仕事で収入を得ているため。

エロイーズとの結婚は打算ではなく彼女からのプロポーズで、トムも価値観の一致するエロイーズをいとおしく思っている・・・もちろん、すべてを打ち明けられるわけではないのだが。
そんな静かな生活の中、トムが関係する画廊のビジネスで問題が起こる・・・。

■雑感
トムが前作の事件でちょっとした有名人であり、警察にも真っ白でない微妙な立場でありながら、何でそんなことをという危険な綱渡りをします。かと言ってアドレナリン中毒なのではなく、トムとしては平穏な生活を守りたいだけ。けれど好感の持てる人物を放ってはおけない、という結果そうなってしまうのです。
贋作画家バーナードに対して感情移入して、あわやという事態に・・・。
物語は続編としても単体としても面白かったです。

■編みどころ
編みシーンはないのですが・・・。

トムは3年前に結婚してからフランス在住、今回の事件の発端であるアメリカ人のマーチソンとロンドンで会い、イギリス土産について会話する場面。トムがエロイーズのために、カーナビー通りでパンツを一着買ったと言うと、マーチソンも妻のために買い物したという話で
「・・・
毛糸を買うこともあるんですよ。家内は編物をやるんでね、自分の編んでおる毛糸が伝統あるイギリス製だと思うだけで気分がいいんでしょうな」
ふむふむ。どんな毛糸だったのかな?

そのほか、終盤トムが手頃な箱が必要になったとき、家政婦のマダム・アネットが取ってあった靴の箱を見つけて
箱の中にはきちんと巻かれた残り毛糸の玉が入っている。
マダム・アネットが編み物するってことでしょうね。


本作の映画化『リプリー 暴かれた贋作』(2005)を見てみました。
トム役がバリー・ペッパーというのはいかがなものかで、私のイメージするトムとは(エロイーズも)違っていました。でも、この映画はかなり脚色されていてコミカルなところもあり(原作も笑える展開はあるので、それを拡張していった感じでしょうか)、原作とは別物として、これはこれで悪くないかも。
編み物に関することは出てきませんでした。

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リプリーシリーズ3作目
太陽がいっぱい 【発見】

白衣の女 【発見】

ウィルキー・コリンズ著
The Woman in White (1860) 中島賢二 訳

『幽霊塔』の黒岩涙香版と江戸川乱歩版を読んだので、その原作である『灰色の女』(A Woman in Grey)が設定を借りているという本作を読んでみました。
そしたら編み物発見!のおまけが。

※少し内容に触れています。

■あらすじ
ウォルター・ハートライトはフェアリー家の娘たちの絵画教師の職を得た。
ローラとマリアンという2人の娘は両親を亡くしていて、保護者である叔父は美術品にしか興味のない人物。姉妹は父親が違うものの、妹のローラは姉を慕い、姉のマリアンは妹を傷つける者は容赦しないという固い絆で結ばれている。

彼らの住むリマリッジ館は、イングランド北部のカンバランドにある。翌日から屋敷に滞在して仕事をすることになったウォルターは、人気のない真夜中の街道を歩いていた。
すると月明かりの中、白い衣服に身を包んだ女性が不意に現れ、ロンドンに行きたいので送って欲しいと言う。話をするうち彼女がフェアリー家やリマリッジ館を知っていることもわかり、奥様、お嬢様と呼び、かつて親切にしてもらったと・・・。奇妙だが怪しいとは思えなかったので困っている彼女を助け、アン・キャセリックという名前を知る。

ローラに会ってみると、彼女とアンの顔がよく似ていることに気づいた。
やがて2人の間にある感情が芽生えるが、身分の違いゆえお互い口にすることはおろか、態度も示すことはできない。ローラには親の決めた婚約者がいて、これ以上近くにいては辛くなるばかり。婚約者についての怪文書が届いたりと気がかりなこともあるが、マリアンにあとを託し、ウォルターは館を去る。

それからとんでもない陰謀が・・・。

■雑感
文庫本で3冊からなるので大変かなと読み始めましたが、古風な文体ではなくわかりやすいし、何より続きがどうなるか気になって読み耽りました。
ディケンズが発行する雑誌に連載された当時、皆が夢中になったというのも頷けます。

この事件が、関わった人々による手記や口述という形で進んでゆくのも、視点が変わって興味をそそられます。筋書きそのものよりも、優れた人物描写によって思い入れが強まり、当時のことであるし大団円を迎えると思いつつもハラハラさせられました。

本作と『幽霊塔』との関連性は・・・涙香版には少し?
『白衣の女』から『灰色の女』は、タイトルからして似ていますが、涙香版『幽霊塔』となると灰色の着物については出会いの場面で触れられるけれど印象深くはないし、乱歩版は『灰色の女』ではなく涙香版を基にしているので、さらに着衣の特徴はなくなっています。

■編みどころ
ローラの元家庭教師の優しい老婦人ヴィジーさんが、結婚のお祝いにショールを編んでくれます!
ここ何ヶ月もの間
シェトランド産の羊毛でショールを編んでいた。
シェトランドの毛糸で結婚のお祝い、時間もかかっていたとなれば、まさにこの時代、ヴィクトリア朝に大人気となった繊細なシェトランドレースなのでは?と想像します。

そのほかは詳しい記述はないものの、ローラが編み物をすること、アンの母キャセリック夫人が「小さな編み物籠を膝に置いていた。」などがあります。


『灰色の女』も近いうち読むつもりですが、こちらも時代があり女性の著者であるので、編み物が登場するのでは・・・と密かに期待しています。

スクワーム 【発見】

リチャード・カーティス 著
Squirm (1976) 関口幸男 訳

凶暴化した大量のミミズと正気を失った男を相手に生き抜く話。
映画に編み物が登場していたので小説版も読んでみました。

原作かと思っていましたが、実際はノベライズではないでしょうか。
訳者あとがきに「本書は映画にもなっており」とあるので、そうも解釈できます。でも海外サイトで原作者の記載が見当たらないのでどうなのかな、と思うのです。
それはともかく、まったくと言っていいほど映画と同じ内容だけど、映画にはない部分もありました。

小説のプロローグには、ミミズ養殖場(映画はゴカイとなっていましたが小説はミミズ、以下M)の息子ロジャーが少年時代に体験した出来事が書かれています。

母が亡くなった悲しみや、それまで何とも思わなかったMが嫌いでたまらなくなったこと。研究熱心な父がMに電気ショックを与える実験中、食いつかれた恐怖・・・こんなことがあったからおかしくなったのかな、と思えるような話です。以来15年も、やはりどうかしている父の手伝いをしながら暮らしていたのですから、さぞや・・・と気の毒にもなります。
ロジャーが逞しくてハンサムな青年に成長し、近寄りがたい不気味さがなければ町中の女の子が夢中になるであろうという件は・・・えーと、映画版では問題あり。

映画ではロジャーがいきなり暴走したように見え(実際は少年時代の心の傷が深く、鬱屈したものがあってまともじゃなかった)、ヒロインの母が心ここにあらずのような状態なのも(夫が亡くなったという説明があるにしても)不可解な感じなのです。
その辺りも納得いきました。というか、描けてない映画がヘボすぎるとも言える?

編み物も補完されています!
ヒロインの母が知人の依頼でショールを編んでいる、というのは同じですが、依頼人は編み物は好きだけどウールにアレルギーがあるので、もっぱら化学繊維のオーロンを使っているとの事。だから娘用にウールのショールを編んでもらっています。

毛糸については、映画では違う色の糸を引き揃えて、かなり疑問な色合いのものになっていましたが(これはこれで、暗い画面の中では存在感あり)、小説では赤と緑の糸で、緑の花模様をあしらった・・・とあるので、地は赤なのかも。映画では棒針編みですが、小説では「金属の編み針」というだけなので、花模様ということからかぎ針編みの可能性も?

など、想像をたくましくできるほど編み物のことが詳しいのが不思議で。
この物語にそこまで書きますか?という素朴な疑問。
どういう経緯なのか非常~~に興味があります。

編み物を発見するまでは価値を認めていない、どちらかと言えば気に食わない部類の作品でしたが、今では結構お気に入りに・・・。
特に小説の終盤に面白い一節があり、そこを何度も読んでしまいました。
ヒロインの恋人ミックが、変わり果てたロジャーの姿を見て
おお、なんということだ。
目があるのはこんなものを見るためか!
というのです。
原書にどう書かれているのか(よくわからないと思うけど)読んでみたいです。

この最大の見せ場の雰囲気は映画ではうまく出ていません。
ロジャーがどういう状態なのかは、文章のほうがよくわかります。映像ではMの物量表現は圧倒的ですが、ロジャーはなんだかしぶといってだけで普通なんです。

というわけで、小説版は映画を補って余りあるもので、おおいに収穫がありました。


あらあら、語っちゃって・・・。
映画の感想を書いたときとテンション違いすぎ~。

太陽がいっぱい 【発見】

パトリシア・ハイスミス著
The Talented Mr. Ripley (1955) 佐宗鈴夫 訳

■あらすじ
貧乏青年トム・リプリーは、富豪のグリーンリーフ氏から、イタリアに滞在中の息子ディッキーをアメリカに連れ戻すよう頼まれた。ディッキーには帰国の意思はないが、トムは取り入ることに成功、彼の家に居候して一緒に遊び回ったり、しばらくは親しい友人のような生活が続く。
やがてディッキーの女友達マージの影響もあって関係が悪化すると、任務が失敗したトムは留まる理由がなくなった。しかしディッキーに執着するトムは・・・。

■雑感/編みどころ
あの有名な映画に編み物は登場しません。
それを読んでみるきっかけになったのは、映画『リプリーズ・ゲーム』(2002)でした。

映画『太陽がいっぱい』では主人公の犯罪は暴露されて終わりますが、小説は主人公のその後が描かれた作品が4つあり、シリーズになっています。
その中の『アメリカの友人』は、ヴィム・ヴェンダース監督の映画化が気に入っていたので、再映画化の『リプリーズ・ゲーム』にはあまり興味はありませんでした。
でもまあ、リリアーナ・カヴァーニ監督だから観ておこうかという程度で見始めたら・・・

・映画『リプリーズ・ゲーム』の発見

パーティの席で、額縁職人の妻サラとリプリーとの会話
ハープシコード奏者であるリプリーの妻が、演奏のため来られないと聞いて
私も楽器を弾くとか 創造力があればね

そのセーターは?

私が・・・

では 君はとても・・・ 創造力が
サラは幾何学模様のパッチワークのような半袖セーターを着ています。
(海外の編み物本で、日本風編み物として紹介されそうなタイプ)
その後、食い入るように見ていましたが編みシーンなどは無し。

だがちょっと待てよ・・・パトリシア・ハイスミスと言えば『ふくろうの叫び』が小説にも映画化(1987)にも編み物が登場していて・・・ってことは映画と異なることで知られる小説『太陽がいっぱい』にも可能性が・・・ということで読んでみて発見しました!

・小説『太陽がいっぱい』の発見

トムはマージに好意を持っておらず嫌悪感さえ抱いています。
だから「マージは編み物をしていた」程度で詳しい表現ではありませんが、ディッキーに3ヶ月くらいかけて編んでいたセーターのことも登場します。

それならとマット・デイモン版の映画をチェックしたけど発見できず。
こちらはリプリー像が比較的原作に近いのですが、小説のようにトムがサインや口真似だけでなく外見までディッキーに似せることができる(トムの自己同一性の危うさ?)という設定ではありませんでした。そのほかはトムの嗜好が露骨過ぎる、マージが好人物に描かれている、というのも違うところ。そして、ラストのピーターが気の毒なのも・・・あれ~?
原作を読んでからだったので、違う部分が意外と面白かったけれど。

そもそも『アメリカの友人』を見た頃は原作のことは知らなかったし、映画化だけでは『太陽がいっぱい』と『アメリカの友人』が関係あるとは気づかずにいました。
今更ながら要チェックです!


・・・散漫になってしまいました。
整理すると

小説『太陽がいっぱい』の映画化はアラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』(1960)
再映画化はマット・デイモン主演の『リプリー』(1999)

小説『アメリカの友人』の映画化はデニス・ホッパー主演の『アメリカの友人』(1977)
再映画化はジョン・マルコヴィッチ主演の『リプリーズ・ゲーム』(2002)
(主演=リプリー役ということで)

映画『太陽がいっぱい』見る→編み物なし
映画『アメリカの友人』見る→編み物なし
映画『ふくろうの叫び』見る→編み物発見!
(このあたりまでは当初編み物は意識せず)

小説『ふくろうの叫び』読む→編み物発見!
映画『リプリーズ・ゲーム』見る→編み物の話発見!
小説『太陽がいっぱい』読む→編み物発見!
映画『リプリー』見る→編み物なし

こんな感じです。
小説『アメリカの友人』に早速取り掛かりたいけど、その前の話があるのでシリーズを順番に読んでいこうと思います。映画化もまだ見ていないものがあるし、シリーズ以外の作品も・・・。

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ピーターラビット 【発見】

ビアトリクス・ポター著
Peter Rabbit (1902-)
ピーターラビットのことはキャラクターとしてしか知りませんでした。
「ピーターラビットの絵本シリーズ」というタイトルで何冊も出ているものだから、全部ピーターラビットが登場していて、長い話だとか、いくつもの話があるのだと思っていましたが、予想に反して他の生き物たちが主役の話が多いのでした。

『ペンジャミンバニーのおはなし』(絵本版 いしいももこ 訳)
『ピーターラビットのおはなし』の続きで、マグレガーさんのところで失くしたピーターの上着を取り返したりするお話。ベンジャミンはピーターのいとこで、ピーターのおかあさんはベンジャミンのおばさんにあたります。ピーターに妹?が3匹いるので、ベンジャミンにはいとこがたくさんいます。

ピーターのおかあさんが棒針編みをしていて、毛糸玉が転がっている挿絵があります。
うさぎの毛の手ぶくろやそで口かざりをあんで、くらしをたてていました。
と、雑貨屋さんをやっているような説明があります。

これは『ばにばにベンジャミンのはなし』というタイトルで青空文庫でも読めます!
ビアトリクス・ポターの他の作品は 作家別作品リスト:No.1505 から。

ピーターラビットとベンジャミンバニーのおはなし(1992年のアニメ版)
上記の映像化作品です。↑DVDはこの挿絵が表紙になっています。
ピーターのおかあさんが娘たちと一緒に売り物の手ぶくろ(ミトン)をテーブルに並べている場面があり、下に毛糸玉が落ちています。


他の絵本では
『ひげのサムエルのおはなし』に猫のタビタおくさんと編み物の挿絵、
『アプリイ・ダプリイのわらべうた』には、靴の中に住んでいたはつかねずみのおばあさんが棒針編みをしている挿絵、
『こぶたのロビンソンのおはなし』には、どこになにがあるやらわからない、ごったがえした羊の毛糸屋さんなどが登場しました。

アニメ版の他のお話やバレエ映画『ピーターラビットと仲間たち』(1971)(原題は “Tales of Beatrix Potter”、うさぎたちは脇役)に編み物は登場しませんでした。


遅ればせながらピーターラビットを知るきっかけになったのは、映画『ロレンツォのオイル/命の詩』(1992)でした。終盤、ロレンツォに母親が本を読み聞かせていて、それが
ウサギ夫人は未亡人で
ウサギの毛で手袋を編んで
暮らしを立てていたのです
というもので、「なんだそれは!」と調べてみるとピーターラビットだったというわけです。
まだまだ知らない事ばかりで・・・。
この映画はニットの登場も多めでした。

私が棄てた女 【発見】

1969年 日活
監督:浦山桐郎
出演:河原崎長一郎、浅丘ルリ子、小林トシエ、江守徹、加藤武
原作:遠藤周作『わたしが・棄てた・女』

■あらすじ
貧乏学生の吉岡は、田舎から出てきて工場で働いているミツと、欲望を満たすためだけに関係した。ミツは吉岡に棄てられ体調を崩し、借金もできて絶望の毎日を送っている。
一方、吉岡は就職した会社の社長の姪と結婚して順風満帆に見えたが・・・。

■雑感/編みどころ
ミツは寝起きしている飲食店の2階で、濃い色の毛糸で棒針編みしていました。
工場で同僚だった女が訪ねてきて編み物の上に座り「イテッ! 何だいこりゃ?」となります。「吉岡さんに会ったらやるか?」(あげるのか?)などと見込みがないと知りながらも図星のようなことを言って嘲弄します。

映画を観てから原作を読んで、内容がかなり違うので驚きました。
原作にない下世話な事柄が盛り沢山に詰め込まれているし、特にミツの最期については、作者の立場からあれでいいのだろうかと。
でも作者が出演もしていることから、不本意な脚色ではないのでしょう。そのまま映像化したからといって小説と同じになるわけではないから、映画なりの表現に任せたのでしょうか?

時間が経ってみると、この映画化も悪くないように思えます。吉岡、ミツ、マリ子(吉岡の妻)という3人の思いがそれぞれあって(原作にはほとんど名前くらいしか出てこないマリ子の存在が大きくなっているのは、浅丘ルリ子を主役級にせねばという理由があったのかどうかは存じません)結果として心に訴えるものになっています。
何と言っても小林トシエが演じるミツの完成度が高くて、他の人物も存在感があるし、当時の風俗の描き方も良い意味で時代を感じられますが、映像面ではやや疑問あり。

熊井啓監督の映画化『愛する』(1997)は、設定には原作に忠実な部分があるものの、上辺だけで真に迫っていないように思います。

Wikiにフランス映画『天使の肌』(2002)が「原作の翻案ではないかと言われている」とありました。なるほど・・・言われてみれば共通点があり、たしかにそう思えなくもないですね。この映画はニットが多めだったので記憶にありました。

原作小説、『愛する』ともに編み物は登場しませんでした。

ペット・セマタリー 【発見】

スティーヴン・キング著
Pet Sematary (1983) 深町眞理子 訳

映画版で見つけた飛行機の中の編みシーンはありませんでした。

ほとんど登場しないのですが・・・。
妻のレーチェルが「手にしていた編み物を置いて」という場面がありました。
また、飼い猫が小さかった頃「毛糸の玉にたわむれていた」ことを思い出す場面も。
この家庭には編み物があったのですね~。

スティーヴン・キングの小説はほとんど読んでいないのですが、他にも発見できそうな気がします。映画化されているものから読んでみようかな・・・。

炎の山稜を越えて(3)(4) 【発見】

ダイアナ・ガバルドン著
A Breath of Snow and Ashes (2005) 加藤洋子 訳

『アウトランダー』シリーズの19、20冊目です。
まったくもう、よくまあ次々と大変な事件が起こるものです。
さらに今回は物語が大きく動きます。
予想はしていたけどそういう理由か・・・なるほどね。
一時は中だるみしたと思ったけど、ぐいぐい引っ張られてゆきます。

編みシーンはないのですが、編んだものはちょこっと出てきます。
それだけでは何てことないけど、裁縫袋が逆さにされて編み物と毛糸などが落ちる・・・という場面がかなり重要なので、これは発見!ってことで。

その名にちなんで 【発見】

ジュンパ・ラヒリ著
The Namesake (2003) 小川高義 訳

■あらすじ
インドからアメリカへの移民夫婦、アメリカで生まれ育ったその子供たちの物語。

アショケはアメリカの大学で工学系の博士号をめざしているところ。
一時帰国して見合い結婚したアシマと共に渡米し、誕生した息子をゴーゴリと名づけた。
正式なものが決まるまでの仮の名前のつもりが、いろいろあってそのままになってしまう。
成長して名前に違和感を持つゴーゴリは名前を変えるが、父がなぜこの名前をつけたのか、経緯を知って衝撃を受ける・・・。

■雑感
物静かな夫アショケ、アメリカ暮らしになかなか馴染めない妻アシマ、息子ゴーゴリと娘ソニア・・・両親と子供たちは価値観が違うものの、激しくぶつかり合ったりはしません。
やや距離を置いて、電話があると煩わしく感じながら、仕方ないなと思いやったりもします。

著者の短編を読んだときにも思いましたが、ちょっとした描写で脇に登場する人物像が浮かび上がり、感情移入しにくい人の考えも伝わるような視点の変化があって奥深いです。

2006年にミーラー・ナーイル監督が映画化したものを先に観ていました。
映画ではアシマの、小説ではゴーゴリの視点が主でした。
ボリューム的に映画は小説の半分で、後半を省略してシンプルにまとめた感じです。

■編みどころ
お見合いの席で、アシマの母親は娘が編み物上手であることを自慢します。
実は編みどころはあまり無く・・・「編んだセーター」といった表現が多いです。
映画版では編みシーンがあるのですが、こちらは手元が映っていないという悩ましい登場ぶり。
(この場面は小説では違うことをしていました)

短編集『停電の夜に』中の「三度目で最後の大陸」にもセーターを編む妻が登場していたので、著者の経験の中にも編み物があったのかな・・・と想像しています。
英国の影響のせいか、インド(関係の)映画からは意外と編み物が発見できます。